平成16年1月3日(土) 快晴 
  神成山 321m

【 ル ー ト 】

   【神成山ハイキングコース】上信電鉄南蛇井駅(9:05)→(20)新堀神社(登山口)→四宮吾妻神社→打越の御嶽さん(325m)→宇芸神社跡→(47)神成山頂(下鍛冶屋の御嶽さん)→(13)見晴台→(2)宮崎の御嶽さん→(7)登山口(西中)→(21)上州一の宮貫前神社→(17)上信電鉄上州一の宮駅(11:47)
  トータル:2時間7分、山と渓谷:3時間5分、三角点:三等「神事谷」

  【高崎自然歩道】上信電鉄山名駅(12:49)→(2)山名八幡宮→(7)御野立所跡→(15)山ノ上碑→(7)山名城址→(12)望鉾山→(13)根小屋城址→赤岩山→(34)車道→(6)金井沢碑→(11)上信電鉄根小屋駅(14:52)
  トータル:1時間47分、群馬山歩:1時間35分、三角点:一等「上城山(根小屋城址)」

【 メ ン バ ー 】
単       独


  平成16年最初の山歩きという事で、初詣も兼ねた軽いハイキングを計画した。第一に山と渓谷1月号に「全国名低山ふるさとの山」に掲載された富岡市の神成(カンナリ)山を、余裕があれば第二として「高崎自然歩道」も歩いてしまおうという欲張った計画である。

  7時半に自宅を車で出発し上越線井野駅まで行き、車を駐車場に置き電車に乗り換える。JR高崎駅で上信電鉄(高崎〜下仁田)に乗換え、南蛇井(ナンシ゛ャイ)駅に向う。上信電鉄はその名が示す通り、群馬と長野県間を繋ぐ路線であったが、群馬の下仁田で止まってしまい、今に至っている。また、無人や駅員不在時間のある駅もあり、ワンマン運転も併用している。

  南蛇井駅には9時過ぎに到着する。駅を9時5分に歩き始め登山口である新堀神社を目指す。駅から主要なポイントに標識があり迷うことなく進める。高速の上信道を潜り抜けると、本当の里道の雰囲気が立ちこめてくる。小川にかかる橋を渡るが、この小川にはカワセミが生息する川であることの説明書きがあった。しばらく進み、細い登りの枝道に右折して、登りつめると新堀神社(登山口)であった。

  新堀神社は大きくない社であるが、覗き込むと中心に武人の神像(毘沙門天?)両脇に小さなきつね像が多く置かれていた。また、左右の壁には、古そうで大きな奉納絵馬が飾られていた。登山口から登ると5分もかからないうち尾根筋に着く、以降、尾根筋の縦走となる。

  少し登ると、4つ石祠が置かれた四宮吾妻神社に着く。ここは西側から南側の展望がよく開けている。展望が良いのはこの縦走コースの南側が切れ落ちて岩壁を構成しているからである。大桁山・石尊山・鹿(カナ)岳・四ッ又山・小沢岳、そして稲含山が良く見渡せる。一番大きい石祠には万延元年の年号が彫られており、江戸時代末期のものである。

  一時景色を眺め先を急ぐ、ダウン・アップを繰り返し「打越の御嶽さん」に到着する。石板の石碑が建っている。さらに歩を進め「宇芸神社跡」に到達する。現在、山の下に宇芸神社があるが、この奥宮跡なのか?又は山にあった神社が下に移転したのかは不明である。また同所には、「神成山自然博物館」と銘打った小ケースが置かれていて、糞や巣、木の実などが展示されていた。またコース途上には、「テンの棲家」「狸の穴」「狐の雨宿り岩」「アライグマの通り道」など懇切に標識が設置されている。

  宇芸跡から一歩きで神成山頂に到着するが、「下鍛冶屋の御嶽さん」とも云うようである。山頂広場の中央に「御嶽大神」の石碑が、そのほか「五大龍王」「童子の碑」もある。また明和3年の石祠もあり、四角が懸けている三等三角点もあった。展望はやはり東〜南〜西側の展望が良く、陽だまりの中のんびりさせてもらった。

  11時近くなって来たので、貫前神社に向けて山頂を出発する。途中、見晴台、神成城跡、「不動→普寛→不動→地蔵→観音」の石仏も表れる。東側の登り口の富岡私立西中の手前に尾根を掘り込んだ空堀跡も見うけられた。

  西中からは、舗装された市道の町並みの中を歩くことになる。約20分の歩きで、上野の一の宮である貫前(ヌキサキ)神社に到着する。緩い登りの参道の両脇にびっしり露店が並んでいる。その先に石段が向っている最上段に門がある。門に立つと社殿は、ここから階段で同じくらい下った底に建っている全国的にも珍しい神社である。初詣で今年1年の山歩きの無事を祈った。

  神社でまだ11時30分の午前であることから、「高崎自然歩道」も歩くことにし、上州一の宮駅に向う。駅では電車の発車時間まで30分程度余裕があり、待合室でコーヒーを入れて飲みながら、軽い昼食も摂った。

  12時26分初の高崎行きにのり、山名駅で下車する。この山名には山名八幡宮という立派な神社があり、またここが「高崎自然遊歩道」の始まり地点でもある。なおこの地には神社の他にも山名城址もあり、当地が源義家の孫義範が土着し山名氏を名乗った由緒ある地である。同神社は正面でお参りしたあと、社殿の裏に回り裏神にお参りする慣わしらしい。社殿は彫刻が極彩色に着色され一見に値する。

  神社の大鳥居の下の「石碑の路」の碑が「高崎自然歩道」の起点である。社の右手に路が進んでいる。ここを進んで行くと直ぐに市道に接続する。市道を左に進み住宅街の中を歩いていくと、公園風に整備された「御所立所跡」に着く。昭和初期に陸軍大演習の際、昭和天皇が全軍を統率した場所である。またここには万葉歌碑があり、本自然歩道はルート上に万葉集の中から上野国を読んだ和歌を刻んだ石碑が27基据えられているトップ?をきっている。

  さらに住宅街の中を進み、住宅街のはずれから一度山道に入るが、直ぐにまた里道にでる。ここを右に進み、のどかな田舎の中を5分ほど歩を進める。標識が山ノ上碑へ向う右に伸びる細い路を示している。路は途中から石段になり、登りつめると「山ノ上碑(681年)」である。この石碑は「上毛三碑」の一つで、「多胡碑(711年)」と後で立寄る「金井沢ノ碑(681年)」とあわせていう。碑は風化を防ぐためコンクリートの建屋に保存され、ガラス越しに除きこむしかない。碑の隣りに、羨道(石室まで進む通路)がむき出しになった山ノ上古墳があった。

  ここから、万葉歌碑が連続する整備された路を進むことになる。歌碑と説明板を見ていくだけでも飽きることはないが、時間もあるので石碑の形の面白い物のみ見ていく。途中山名城址への分岐があり、城址ヘ立寄ることとする。城址へは300mくらい進んだところに本丸があった。城址は戦国時代に大改修がされ、武田信玄ヘ対する上杉方の最前線の城であったらしい。本丸からは北側が開けていて、高崎市街地が良く見える。

  本丸から来た道を引き返し、歩道に戻りさらに歌碑の路を進む。根小屋城址と金井沢ノ碑への分岐に差しかかる。分岐の手前のチョットした頂に歌碑があり、さらに手書きの標識に「望鉾山」と表示していた。

  分岐から700m入り込んだ根小屋城址に向う事にするが、これが意外とてこずった。今回は軽い歩きという事でスニーカーで来ていたが、足の裏が少し痛くなって来たのである。我慢をしながら何とか本丸跡まで登りつめる。本丸には5mくらいの高さの展望台があった。また、一等三角点も設置されていた。この城は武田信玄が烽火城として構築し、上州の新譜者の見張りも兼ねていた様である。比較的構造が残っている城のように見えた。

  さあ最後の目的地である金井沢ノ碑に向けて根小屋城址を分岐まで引返す。分岐から碑の方面に足を踏み出す。身体的にはかなりのきつくなって来てるのが自分でも判った。でも後少しで、これからは下りが多いので何とかなる言聞かせ進む。

  途中に尾根の先端に碑があり標識も見えたが、そこが赤岩山と呼ぶらしいが、立ち寄りはしなかった。最後の下りは染みだした水で濡れ滑り易いので注意した。そこが鎌倉街道七曲りというらしい。鎌倉時代の夏季のみ越えた鎌倉街道らしい。最後に川を渡り車道に出て、束の間車道の歩道を歩き2分程度で旧道に入ると直ぐの所に、金井沢ノ碑の入口に着く。

  碑は川を渡り3分くらいの所に、山ノ上碑と同様に建物の中に保存されていた。この碑はもともと何処ににあった物か不明で、畑で出土し洗濯岩として使われていた物を、この地に設置したものである事が書かれていた。これで本日の最終目的も達成したので、根小屋駅に向けて最後の歩きとなったが、十数分で到着した。本日は意外としんどい歩きであった。(初詣: 元日総社神社 3日貫前神社(一の宮)、山名八幡宮)  


ル ー ト 上 の 風 景


  

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