平成16年11月5日(金) 快晴
王ヶ頭・牛伏山 2034m/1990m

【 ル ー ト 】

美ヶ原高原美術館駐車場(8:52,10:52)←(10,11)→牛伏山←(7,5)→山本小屋←(5,5)→美ヶ原高原ホテル←(7,4)→美しの塔←(6,6)→分岐(塩くれ場)←(20,14)→王ヶ頭(王ヶ頭ホテル)
 分岐(塩くれ場)
←(6,6)→下降地点

 歩行時間:1時間52分、山と高原の地図32:3時間40分、駐車場:美ヶ原高原美術館駐車場800台(無料)WCあり、三角点:王ヶ頭 三等「美ケ原」

別所温泉:信州の鎌倉で古寺巡行

【 メ ン バ ー 】

二人(フー、オクサン)


本日は休日勤めの替りの休みで、オクサンも仕事が休みだったこともあり、長野の「美ヶ原」に出かけることにした。6時に出発し、R18号で長野県に、そしてR152号、県道62号ヘ、最期に県道464号で、『美ヶ原高原美術館駐車場』に830分過ぎ到着する。途中R18号では浅間の噴煙と湯ノ丸の紅葉が素晴らしい。県道に入るとカラ松の黄葉もまた素晴らしかった。既に美術館に数台駐車され、散策をしている人も見られた。
オクサンは美術館、フーは王ヶ頭までのトレッキングと、別々の行動を取る事とした。852分に身軽なスタイルで出発する。駐車場から車道を横断すると木製の緩い階段の遊歩道が美術館の展示場と平行に付けられている。展示場が切れる(写真 砲板召亜◆惶輊山分岐』に着くが、帰りに寄る事としてそのまま通り過ぎる。ここから美ヶ原(写真◆砲一望のもとに見渡せた。牧場斜面の中の石張りの道を下ると『山本小屋』に到着する。
山本小屋から車歩道兼用のダートの歩きになる。ここから殆んど標高は変化せず、平坦な歩きである。5分で『美ヶ原高原ホテル』に着くが、ここから先は、許可車のみ通行可能なようで、パトロール車が通行していた。ほぼ真直ぐな道の先に『美しの塔』が見えている。その先に沢山電波塔が林立する王ヶ頭(写真ぁ砲、更にその先には雪を被った北アルプスの峰々がクッキリと見えている。
美しの塔(写真)は、近くで見るとかなり大きい塔である。上部に鐘が付いているようである。ここから『分岐(塩くれ場)』へも道が真直ぐで、分岐から王ヶ頭に向う前に広小場に下る『下降地点』に立寄って見ることにする。下降地点からかなり荒れた岩肌の斜面が下っており、百曲りと云うらしい。直ぐに分岐に引き返し、『王ヶ頭』に向う。道をマイクロバスが登って行く、後を追うように早足で進んでいく。20分で王ヶ頭園地に到着する。見えていた一番大きな建物は王ヶ頭ホテルで、山頂(写真ァ砲魯曠謄襪領△棒倔と王ヶ頭山頂と彫られた石碑が立っていた。
山頂からは、西側に「王ヶ鼻(写真Α法廚見えていて往復40分らしいが、時間的な問題から諦める。北西方向に槍ヶ岳と穂高連峰、その更に北側唐松・五竜等浮かんでいる。園地に引き返すと、南東方向に蓼科山と八ヶ岳カ、その右側に南アルプス、そして中央アルプスが少し霞気味に見えている。そして茶臼岳から美しの塔・牛伏山、物見石山までの美ヶ原高原が一望である。
園地から分岐までの下りは、駆け足で汗だくだくとなりながら14分で通過する。分岐からは、普通の歩きで同じ道(写真А砲魄き返した。最期に牛伏山(写真─砲卜寄り、方位盤で周りの山名を確認してから、美術館駐車場に戻った。

オクサンの要望で美ヶ原からの帰りに、信州の鎌倉と呼ばれる別所温泉に立寄り、古寺巡りをして自宅に戻った。


ル ー ト 上 の 風 景

牛伏直前

美ヶ原一望

美しの塔

王ヶ頭

“術館から
美ヶ原への登り

広々とした
美ヶ原

Hしの塔

げΕ頭

王ヶ頭頂上

王ヶ鼻

美ヶ原遊歩道

牛伏山

ゲΕ頭頂上

ΣΕ鼻と
冠雪した北アルプス

Э芯召或びる
美ヶ原内の遊歩道

┻輊山頂


別所温泉
別所温泉は、信州で最も古い歴史をもつ温泉の一つである。古代からこの出湯の効能はひろく知れわたり、それが神仏の霊験と考えられてまず観音様がまつられた。北向観音がそれである。この観音を中心として長楽・安楽・常楽のいわゆる三ヶ寺ができ、別所は仏教・学問の中心地ともなった。 別所温泉のある塩田平は、かつては「信州の学海」といわれ、信濃文化の一大中心地であったが、その渕源となったのは、じつにこの別所の出湯なのである。 中世に入っては、木曾義仲・塩田北条氏・真田氏などの豪族たち、および東信濃一帯の庶民たちが、この出湯をこよなく愛し守ってきたことは資料伝承の上から明らかである。 いま、この別所温泉とその周辺には、多くの「国宝」・「重要文化財」級の文化遺産が残され、”文化財の宝庫”として全国に知られるようになった。この事実こそ、別所温泉の歴史を率直に物語るものといえよう。

北向観音
本尊は千手観音菩薩で、昔からこの地方はもちろん広く県内外の信者が多く厄除の観音様として親しまれています。「北向」の名は長野の善光寺の南向きと、向きあっているところから名づけられたものです。善光寺と北向観音のご利益は一体のもので、その一つを欠けば"片詣り"であるといわれています。 観音堂の創建は「北向厄除観世首縁起」にくわしく記されていますが、お堂の位置や、お堂に向かってまっすぐな長い参道が通っていることなどから、古い歴史をもつ寺であることがわかります。 お堂の右側には、この地方ではめずらしい桂の大木があります。また、この木の下に別所三楽寺(長楽・安楽・常楽)の一つである長楽寺があったといわれています。きっと長楽寺が北向観音堂をお護りしていたものと思われます。長楽寺の山号は、「北向山」と古文書に記されています。この観音堂は1694(元禄7)常楽寺がお護りするようになったので、長楽寺はそれ以前に廃絶したものと思われます。 観音堂の地を「院内」といいますが、この場所から、鎌倉時代から室町時代にかけてのものと思われる数多くのすばらしい石塔群が発見され歴史の学問の上から大変有名になりました。ですからこの土地はその時代から観音堂を中心にした一大霊場だったと想像されます。 この観音堂は1713(正徳三年)に焼けてしまい、8年後の享保六年に再建され、その後いく度か改修されて現在に至っています。境内には数多くのお堂や鐘楼などが建てられ、句碑・歌碑・燈籠などが立ちならび、いまもこの地方では大変有名な霊場です。

安楽寺
八角三重塔で知られる安楽寺は天長年間(824834)に開かれたと伝えられる大変古い寺です。 この寺の名が書物に出てくるのは、鎌倉時代のはじめのころからです。鎌倉の建長寺の開山として有名な蘭渓道隆(中国人で執権北条時頼が招いて建長寺の開山とした名僧)が、安楽寺の和尚に宛てた手紙や、その他の史料から、この寺は鎌倉の建長寺と深い関係をもっていたことがわかります。鎌倉の建長寺は、1253(建長五年)わが国で初めての禅の専門道場として開かれた寺ですが、この寺を開いた道隆は「建長寺は鎌倉で、安楽寺は塩田で、それぞれ100人、50人の僧が修業し、仏教の中心となっている」という意味のことを記しています(大覚禅師語録)。これによって、このころ安楽寺はおそらく信州では鎌倉の建長寺と同じような位置を与えられていた格式の高いお寺だったと創造されます。もちろん禅寺としては、信州では最も古い寺です。

常楽寺
別所温泉にある天台宗の古いお寺で、常楽・安楽・長楽という「別所三楽寺」の一つです。平安時代のはじめ624〜834(天長年間)、慈覚大師という方によって開かれ、その後塩田北条氏や海野氏が建て直したといわれています。有名な別所北向観音をお守りする寺で、今は天台宗の別格本山となっています。鎌倉時代に塩田地方は「信州の学海」と呼ばれていたのですが、この常楽寺もその頃、宗教・学問を勉強する場所であったようです。
 
安楽寺の開山樵谷惟仙も16才まで、この常楽寺で仏教の教えを学んだという記録があります。また1292年(正応五年)には神奈川県の称名寺の坊さんが、「十不二門文心解」というお経を常楽寺で写したということが文書に残されています。

             ***上田市のホームページより***


  

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